011年、父の病気が発覚しました。
病名は悪性リンパ腫。
そして2013年3月9日、84歳で永眠。
そこからわたしと母との格闘がはじまりました。
「わたしとわたし」の格闘とも言えますが・・・。
ここでは6年にわたるわたしと母との格闘記を記していきます。
今日は辛いことと、まあまあ嬉しいことがあった日です。
朝から夕方まで仕事で自宅を離れられない日に限って、母からの電話攻撃。
留守電には、パニックに陥った母の絶級が、延々と録音されています。
財布の中にも、引き出しの現金も、何もかもなくなっているというのです。
今朝からどこにも出かけていないのに、誰に盗られたのだろうかと。
盗られたわけがありません。
もちろん、どこかに置いたまま、わからなくなったのでしょう。
しかし、今日の様子は異常でした。
興奮して手がつけられない。
落ち着かせようにも、人の話を聞かずに一方的にまくしたてては
号泣するだけ。
ついつい、こちらも怒鳴ってしまいます。
夕方には行くからと、ようよう宥めて、しばらくするとまた電話。
「今、友達から誘われたので、お茶にし行ってくる」
?????
えっ?
お金はあるの?
わけがわからぬまま、兎にも角にも実家に向かいました。
自宅には、すでに帰ってきた母がいて、お茶代はギリギリあったというのです。
引き出しにあったはずの現金の入った封筒は、落としたのでしょう。
足元にポトリと落ちていました。
財布の中の一万円札は、単に使ってしまって無くなっただけでした。
さらに母は、午前中から私を振り回した電話の大騒ぎなど、全く覚えていませんでした。
「私、あなたに電話した? 全然覚えてない。きっと無意識なのね〜」
これで、終了です。
仕方ないとはいえ、私の怒りの感情は、一体どこへ持っていけばいいのか。母にぶつける
こともできず、泣くこともできず、ただ、溜息と共に吐き出すのみ。
お金のことが解決した後、説得して、ようやくシャワーを浴びることに成功しました。
「シャワーは寝る前。湯冷めして風邪引く」
このこだわりが、とにかく頑なだったのですが、ブツブツ続く文句を聞き流しながら
なんとか、お風呂場に誘導しました。
身体を洗って、気持ちよかったようです。
その後、残り物で一緒に夕食を食べ、過酷な一日が、終わりました。
明日は、デイサービスの送り出しですけどね(^^;
感情との戦いの日々は続きます。
むつみ
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