谷川俊太郎の詩が好きです

「新聞」という自己投資

朝日新聞の「語る」というコラムで、

詩人谷川俊太郎さんが取り上げられていて、

楽しみに読んでいました。
とても好きな詩人なのです。

子どもの頃は、スヌーピーの訳で、
高校生の頃はマザーグースの訳で
そして大人になってから、改めて
谷川さんの詩の素晴らしさに
感動しています。

谷川さんの詩は、私たちが日常使っている
言葉で、深いことを伝えてくれます。

元々、詩を書くことが社会の中で
役に立っているのかという不安があった
と語る谷川さん。
「いかに生きるか」という
答えの出ない問いを
私たちに投げかけてくれます。

ひらがなだけで書かれた『ことばあそびうた』は、楽しい詩集です。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった

は有名ですね。
自分の中の「おさなごころ」が癒されて
いくような、そんな感覚があります。

声を出して読んでみると、言葉の意味の
広がりを感じられます。
お子さんと一緒に音読するのも
いいですね。

 

『生きる』という詩があります。
いつ読んでも、胸が痛くなって泣きそうになります。
辛い涙ではありません。

 

実はかなり昔に書かれた詩ですが、
東日本大震災の後、
多くの人がこの詩に励まされたそうです。

そして、そのことからまた詩人は、
新たな言葉を生み出すのでしょう。
もし、読んだことのない方がいらしたら
ぜひ読んでみてください。

403 Forbidden

 

「わたしは背の低い禿頭の老人です」
『自己紹介』という詩の冒頭です。
単なる自虐で出てくる言葉ではないと感じました。
そのままでよしと、自分をまるごと肯定
できる力強さ。
わたしも持ちたいです。

 

最後は詩集『私』の中の
「さようなら」という詩についてです。
この詩の中で谷川さんは
肝臓さんや膵臓さん、心臓さん
これまでお世話になった肉体の一部に
感謝しながらお別れします。
これからは魂だけのすっぴんになる。
そんな風に「死」のイメージをマネージします。

詩人が
「言葉なきものたちの仲間になる」
と語ります。

肉体とは、魂を乗せた丸木舟。
そのヴィジュアライゼーションに
癒されます。

 

むつみ

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